ぷり子の部屋

やかましいブログです。

死ぬのが先か、推すのが先か。

突然だけど、私の「推しの傾向」の話。
Twitterでは散々喚き散らかしてきたが、私の推しは大体死ぬ。
ネタバレを避けたいからキャラ名は伏せるが、大体死ぬ。
自尊心を保ったまま大往生を遂げるか、闇堕ちするかはさておき、大体死ぬ。一度死んだからには絶対に生き返らせないぞという作者の強い意志を込められて、死ぬ。

■そもそも何故死んでしまうのか

一言で表すなら、「弱いから」である。
誰よりも強かったら当然死なないので、これは残念ながら避けられない分析結果なのだ。
しかし、ここで言う「弱い」は、「チートではない」という意味を指す。
つまり、漫画やアニメの世界に登場しておきながら、一般の人間らしく脆さや弱さを見せてくれるキャラが当てはまるという事になる。
こんなのチートじゃん……というキャラは漫画の中でも限られてくるので、大体が「死」の対象であるが特に私の推しは狙われやすい。

■主人公の宿命とは

私が読む系統の漫画の鉄則として、基本的に主人公は死なない。最終回かその数話手前で死ぬことはあっても、物語の中盤で死ぬ事はほぼない。
仮に死んでも、七つの玉を集めて神にお願いすれば生き返るのが定石。
何故かというと、全ては「主人公が成長する」という物語だからだ。最初は非力寄りだった主人公が様々な困難を乗り越え、私の推しの死を成長の糧にし、敵に立ち向かう。そして勝つ。最後には地球を救う。そういう宿命なのだ。

■私の推しが狙われやすい理由

主人公とある程度近しい関係性にあり、チートには及ばないがある程度の力を最初から持って登場する二番手キャラがまず危ない。
何故なら、物語の中盤で主人公は必ずと言っていい程「覚醒」をする。覚醒したらもう誰も止められない程に一気に強くなる。地球を救える程に、誰よりも強くなる。そうすると力の上下関係が逆転し、自尊心を傷付けられ闇堕ちをしたり、また再逆転を描かれる事なく中ボスに充てられたりして死んでしまうのだ。

■二番手の魅力とは

なんと言っても「読者からの共感」ではないだろうか。
最初は強く描かれているからこそ、垣間見える弱さが際立つ。
必死にもがいて這い上がろうとしても「覚醒」した主人公に敵う二番手などほぼ居ない。成長スピードが段違いに変わる場合もある。
生まれる無力さ、劣等感、失われる成長意欲。
これは現実世界でも起こり得る事で、目指したり憧れたりする人物が居ればその感情は読者も持ち合わせる事になる。
「敵わない相手がいる」二番手キャラというのは、これ以上ない読者との共通点なのだ。

■二番手の宿命とは

主人公を輝かせるための存在。
それが二番手として登場するキャラの宿命だと考えている。ライバルでも仲間でも何でもいいが、とにかく二番手の影によって主人公はより輝く。そして、その手法として1番魅力を発揮しやすい描写が「死」なのだ。これ以上の影はない。本来であれば順当に成長するはずだったキャラも、その機会を得られないまま死ぬ。
闇堕ちをしても結局闇が勝つ事はないので、死ぬ。
主人公は死なないので、1人残される形になる。
当然、応援したくなる。より強くなる。輝く。
あの時あの状況で二番手が死んだおかげ様々だ。


こういった観点から分析すると、私の推しは共通して大体が「二番手」ということが判明した。
(クレジットでいう二番手ではなくとも物語を通じての重要さで言う所の。)
普通に生きていればカースト上位に君臨し、南半球くらいなら救えるはずだったのに、主人公の為に落としてしまう「二番手の命」はとても尊い。大往生でも闇堕ちでも、結局は主人公の成長の糧になってくれる「二番手の死」。
私はそんな二番手をとても愛おしく感じ、ついつい推してしまうのだ。ここで亡くしては惜しいと思いつつ、犠牲になってくれる二番手の尊さったらない。メンタルが崩壊する事を分かっていながら、どこかでそれを期待してしまう自分すらいる。
死ぬのが先か、推すのが先か。
私の中では、「死によって、推しが完成する」。これが答えのようです。



PS.ただし、デスノート進撃の巨人は例外とする。