ぷり子の部屋

やかましいブログです。

天才に敵わない凡人の生き様

「天才」が憎い。
たまにいるよね、本物の天才って。
努力を見せてないだけだと言うかもしれないけど、そこを含めて天才だと思う。

ずるい
そんな風に出来たら
私には無理だ
天才だからやれるんだ

そんな風に卑屈になる時期がたまにあるんです。そんな時には何を言われても励まされてももう無理で、「私は私!」とかいうマインドの切り替えなんて到底考えられない。
ひたすら「出来ない自分」と「出来る天才」を比べてはとことん落ちて落ちて落ちて、しかし現実はどうにも変えられないから仕方なく自分の機嫌を誤魔化して、何事もなかったかのように這い上がったふりをする。
思い切ってこの場から逃げてしまおうか、とも思うけどその先を考えたらそっちの方が断然辛い。未来が見えない方がストレスで、更には嫌な奴になりたくないから逃げるタイミングさえ計算しなければいけない。当然ながら貯金が底をついても強盗なんて出来っこないし、そんな勇気もない。見栄もプライドも一丁前に捨てきれない。
だから思い切り息を吸って、もう一度群れの中に飛び込んで泳ぐしかない。
人はいくら嫌な事が積み重なっても、心底狂人には中々成り切れない。

ならば、もう「天才」と「凡人」を切り離して生きるしかないのだ。
幽体離脱したかのように常に自分を見張っている、もう1人の自分がいるかいないか。
私はその違いが、天才との境目のように感じる。

「これはきっと今やるべき事じゃない」
「もっとこうしたら上手くいくのではないか」
「こうする事によって周りはどう感じるか」
感情的になった時、もう1人の自分がストッパーを掛けてしまう癖がある。
感情だけで動いて、上手くいった試しがない。
タイミングや場の空気や世論やルールを「そんなの関係ねぇぜ!」と一刀両断する事はどうしても出来ない。
いや、もしかしたら出来る凡人もいるのかもしれないが、その後に得られる結果はきっと天才がなんの気なしにやった行動の1%にも満たないと考えてしまう。

ただ、もしかしたらそれでいいのかもしれない、と最近ようやく思えるようになった。
だって私は「凡人」なのだから。
それなりの凡人として社会に適応して、それなりに仕事をして恋愛をして、趣味を楽しんでいる。
そして凡人の努力が、たまに結果を結ぶ事もある。
じゃあ、もうそれでいいんじゃないか?

天才は、努力してなれるものではない。
努力を惜しまない天才は存在するのかもしれないけど、「天から与えられた才能」があるから天才なのだ。どうしたって敵うはずがないのだ。
だから、張り合おうとする事を辞める。
凡人の中で上位カーストを狙う方がまだ現実的だ。

左ききのエレン」という漫画があるが、これは凡人にとっての聖書のような本だから良かったら読んでみてね。
そして、天才になれなかった私は今日も中の上の凡人を目指してスクワットでもやろう。